「価値のほうに自分が逆に規定される」


いまほぼ日で糸井ダーリンと奈良*1さんの対談が連載されているのだけど、今日更新されたのを読んでいたら、さとちに想いをはせてしまいました。
さとしくんのことを書いてあるわけじゃないんだけど、奈良さんとダーリンが話す会話のなかのあれこれに、あぁ、もしかしてさとしくんもこういうことを想った瞬間があったんだろうなぁ、とか、奈良さんがこういう考え方のひとだから奈良さんと合うのかもしれないなぁとか。そういう感じで。


とくにものすごくかんがえたのはこのぶぶんでした。

奈良さん:
なんか、ぼくは、ずっと、
「描きたいものを描く」っていうこととか、
「描きたいものが描ける環境」みたいなものを
追いかけてきただけだったから。
だから、自分の作品が、
人々のあいだに広がっていって、
しかも売り買いが対象になってたりとか、
あるいはぜんぜん知らない人から、
あなたの絵好きですとか言われたりすると、
「あれ? なんで描いてるのかな?」って
あらためて考えはじめるっていうか。(以下略)


あと、きのうのこのぶぶんは、フリスタのときのさとしくんをおもいだしてにこっとしちゃった。

奈良さん:
(前略)ぜんぜん知らない人がきて、
すごく真剣に自分の絵を見て、
たとえば、人生を振り返るような話をしだして、
なんか、この絵が自分の人生と
リンクするような気がして好きなんだ、
とかって言う。もう、それだけで‥‥。

糸井さん:
うれしいよね。

奈良さん:
うれしい。
ひとりの人が、心からそう思ってるっていうのが
はじめて実感できるから、
わー、やっててよかったなぁ、って思って、
(以下略)

*1:美智